うっ。はっ。すっ。

なにか書きたいことがあるわけじゃないんだけれども、とりあえずブログ作成画面を開いてみた。
不特定多数の誰かに伝えたいことなんて別にないんだよな。
自分の大切な人たちに伝えたいことはあったりもするけど。

ビジネス系の「皆さんのために本当は嫌だけどお伝えします!」みたいなのにうっ、ってなっちゃう。
本当に嫌なら伝えなくていいよ。
「便利な情報をお伝えするのでフォローしてください!」って言ってくれる方が気持ちよく受け取れていいね。

嘘はつきたくないしつかれたくもない。
自分の感情や考えと異なる言葉を発することに慣れると、それは習慣になってしまう。

「僕は一切嘘をつきません!」なんて言うつもりはないけれどもたぶん少ない方だとは思う。
単純に嘘をつくのってめんどくさいんですよね。
整合性を持たせる努力が必要だから、というよりも単純に自分の心がモヤモヤするから。
ということは、相手のために嘘をつくってのは自分の中ではありなのかもしれない。
それをついた記憶はぱっとは思い出せないけど。

僕は裏表も無い方だと思う。
だって自分を取り繕うのは面倒臭いから。
好かれようが嫌われようがどっちでもいいし、取り繕った自分を好きになられても良い関係にはならないと思ってるから。
逆に「取り繕ってるな〜」って感じる人とは仲良くならない。

でも。
高校の頃、何を言ってもめちゃくちゃ笑うクラスメイトがいて、最初は苦手だったんだけど「こいつはいつも本当に楽しくて笑ってるんだな」って気づいてからはめちゃくちゃ仲良くなった。

誰かを最初から全て理解することなんてできるわけないんだから、ちょっとした違和感があったとしてもポジティブに相対するようにしていきたいですね。
「取り繕われてる」っていうのも悪意によるものだけでなく、人見知りだったり僕のためにそうしているっていうケースもあるんだろうから。

そういや前に「揉め事があってもまた仲良くなれると思うのはコミュニケーション強者の発想だよ」って言葉(うろ覚え)を読んではっとなったことがある。
僕も気づかないうちに、人を嫌な気持ちにさせていることも多いんだろうな。
ごめんなさい。でも悪気はないんです。
あと、自分では自分をいいヤツだと思ってます。

基本的に誰とでも仲良くなりたいと思ってる。
「仲良くなりたくないな」と思ったらすっと離れるけど。

良いことを言いたいなんて思ってない。

ふと思い立って書き始めたブログ、3日連続の更新だ。

3日坊主を揶揄する人もいるけど、始めないよりえらい。
3日坊主も、10回繰り返せば1ヶ月継続したことになる。

IT界隈、毎日ブログ更新します!なんて言う人はたくさんいるけれども本当に継続する人はほぼいない。
そこに苦言を呈したいとかは全然ないんだけど、僕は友達が書く文章を読むのは好きなので僕が好きな人にはブログを更新してもらいたい。

ブログってもはや死語なのか?
Twitterも当初はマイクロブログなんて言ってたのに気づいたら陰キャのSNSなんて言われちゃったり名前まで変わっちゃったりする始末。
ちょっとした昔話をすると、2010年くらいはITリテラシーが高い人が集まるコミュニティーだったんですよね。

友達にブログを書いて欲しいとは言ったけれども、余所行きの文章にはそんなに唆られないんです。
そうじゃなく、魂のむき出しみたいな、感情が叫びだしたような、そういう文章が読みたい。

ただ、僕らはある程度大人になって、分別を持ち、配慮もできるようになってしまった。
もちろん僕も、世や誰かに対して怒りを覚えることもあるけど、それを公の場で撒き散らすほど馬鹿ではない。
でも、怒りを簡単に消化しきれるほど賢くもない。

今度焼肉を食べることになってふと考えたんだけど、たぶん数年ぶり。
焼肉ってあんまり唆られないんですよね。
シンプルといえば聞こえは良いけど、肉を切って焼くだけの料理だから。
美味しくはあるけれども、美味しくされるためにもっと色んな工夫がされてる料理の方が僕は嬉しい。

とはいえ久しぶりの焼肉が楽しみじゃないわけではない。
ちょっと変わったお店にしたんですよね。
僕は食事の際、料理だけでなく好奇心や体験も合わせて味わってる気がする。

ドキッとするようなタイトルつけたい。

新居での初料理はカレーでした。
なんか、ベタなものの方がいいかな、って。

材料は合いびき肉、マッシュルーム、しめじ、パプリカ、ヤングコーン。
そういやほうれん草も入れようと思ってたのに忘れてたことに今気がついた。
パプリカは黄色を買ったんだけど赤色の方が彩り良かったな。

料理はいいね。
楽しいし、美味しいものまで食べられるおまけ付き。
昨日の続きだけれども、こうやって生活に温度を取り戻していく。

やることが多い。
良いことだなとも思いつつ、そればかりだと逆に毎日が単調になる。
緩急がなくなるって言ったほうが正確かも。
でも、一息ついたり、色んな方向に心を動かしたい。

ドキドキしたい。

急に言葉で刺されるんでもいいし、怖くなるくらい楽しくなっちゃうんでもいい。
自分の想像以上に想像以上でありたい。

人生がつまらなくなる理由の一つとして、全てが想像の範囲内に収まっちゃうってのはあるのかもね。
その解決のために貧困な想像力であり続けるという方法もあるかもだけど、それじゃつまんないよね。

生活が温度を取り戻している。

藤原麻里菜さんのnoteがすき。
彼女が考えたこと、感じたことをとりとめなく書き綴っている感じ。毎日。
僕もやりたい、と思った。毎日じゃないと思うけど。

引っ越しをしました。
とは言ってもそれが完了したのはもう10日前。
福岡を2/3(土)に出て、東京の新居に荷物を搬入したのが5(月)。
そう、東京に、戻ってきた。

新生活を満喫できているのかと言えば全くそんなことはなくて。
主な理由としては体調を完全にぶっ壊していたから。
引っ越し翌日の午後くらいから急速に悪化して、翌日フラフラになりながら病院に倒れ込んだら39.5度。
引っ越したばかりで体温計がどこにあるか分からなかったからそこで初めて自分の体温を認識したんだけれども、そりゃしんどいわけだ。ははは。

そこからの復活に数日を要し、とは言え仕事もしつつ荷ほどきに目処がついたのが今日。
ようやく、仕事用の椅子に座りながらキーボードを叩けている。
今日まではダンボールに囲まれながらソファーに座ってローテーブルにモニターを置いて作業してたんだけど、思えば購入以来、一番長くソファーに座っていた期間だったかもしれない。

ようやく生活に温度が戻り始めた。
もちろん、家でご飯も食べていたしお風呂も入っていたし睡眠も取っていたけれども、それは生活というよりもただタスクをこなしていただけだった。
温度も色もない、必要な作業でしかなかった。

でも今日はご飯を炊き、それを小分けにして容器に入れ、今は僕の右の方で冷凍庫にしまうために冷ましている。
部屋の奥からはそれなりに気に入っているスピーカーから好きな音楽が流れていて、背中方向からは食器洗濯機が頑張っている音がする。

それなりの後悔をしようと思えばできるけれども、僕は自分の人生がすき。
そしてそれをもっと良くしようと、また東京に戻ってきた。
温度のある毎日を過ごしたいですね。

MÅNESKIN | Rush! WORLD TOUR@東京ガーデンシアターを観てきたよ。 2023/12/06

クソみたいな気分だけど書く。

普段洋楽はあんまり聴かないんですけどマネスキン、かっこいいんですよね。
特に2つ目のライブ動画はお気に入り。※どちらも公式映像

ただ、ライブ体験としては最悪だった。
今までいろんなものを数十回観てきた中でワーストってくらい。

結構楽しみにしてたんですよ。
この日はほんとにくそったれな出来事があって萎えていて、それを吹き飛ばしたかった。
海外アーティストの単独講演はノエル・ギャラガーぶりで、彼の時は曲だけでなく音の良さをかなり感じもしたので。
で、せっかくロックだしってことでステージが近いアリーナ席を取ったんだけどそれが完全にミスだった。

上記の今日のライブの写真、拾ってきたものなんだけど何が最悪か分かりますか?
そう、アリーナ席の数えきれないくらいのお客さんがスマホを高く掲げて動画なり写真なり撮ってるんですよ。

僕は最前列近くにいたにも関わらず、何人も何人も手を上にまっすぐ伸ばして、手だけならもちろんいいんだけどスマホで撮っているから本当に邪魔だし、モッシュしてる人もいるから危ない。
暗めの照明を使う演出もスマホの明かりで台無し。
激しい曲でも、カメラがブレないようにするから最前列近くにいるのに棒立ちの人多数。
ボーカルが拍手を促してもそれには応えず動画撮ってる。
アンコールの際もアリーナ席の人はほぼ手拍子せずスマホ観たりなんかよくわかんないけどだらだら話してる状況ってのは本当に初めて見た。
スタンド席から観てたら印象はまた違ったと思うけど、アリーナ席でのライブ体験が本当に最悪だった。

もちろん、海外アーティストがスマホでの撮影を許可するケースが多いことは知ってる。
でもね、それは周りの人に迷惑をかけてもいい、ってことではないでしょ、と。

挙句の果てに、後ろでスマホを掲げてた人が、それを落として僕の頭にぶつかって痛かった。
そしてその人はスタンディングアリーナのモッシュピットにいたにも関わらず、ライブが終わった後、僕に「床に落としたポスターを踏まれた」と文句を言ってきて。
そしたら隣にいたおばさまが、「それは言いがかりすぎる」って助け舟を出してくれて少し救われた気持ちになった。

ボーカルのダミアーノも最初はテンション低めな印象だったけど、尻上がりによくなってた感があったのに上記の出来事があって完全に萎えてしまってた。
今日は元々気分が落ちていたこともあって途中で切り替えることもできなかったので、せっかくのマネスキンのライブだったのにとてももったいなかった。
次回の彼らの来日時にまた行くかはどうか分からないけれども、今後海外アーティストのアリーナ席は絶対に取らない。

余談だけれども、本当にくそったれな気分だったけれども、ライブ後に複数の人に話を聞いてもらってだいぶマシになった。
人に恵まれているのはとてもありがたいこと。

さらに余談だけれども、亀田誠治さんが同じ会場にいたらしいことを知ってびっくりした。
椎名林檎のベースがとても好きで当時めっちゃ弾いてたので、有名人にあまり興味がないんだけれどももし彼に気づいてたらさすがに握手とかお願いしてたと思う。

※画像はこちらから引用。

チバユウスケが死んだ。

癌で。55歳で。

僕より少し上の世代であれば、ミッシェル、ブランキー、イエモンの3つのバンドになんらかの特別な印象を持っている人は多いんじゃないんだろうか。
まぁ他の人は置いておいて、少なからず僕にはそれがあった。
彼らは特別で、大きなエネルギーを伴って、時代を創っていた人たちだった。

僕は人生のたくさんの場面で音楽に救けられてきた。
彼らの曲にも多くの場面で救われ、尻を叩かれ、励まされてきた。
だからこの3つのバンドは好きとか嫌いとかとは少し違う次元で、なんというか神聖さすら感じられるものだった。

僕は20代と30代前半の人生をほぼ仕事のみに費やしていた。
フェスにもライブにも色々行ってみたいと思っていたけれども、何よりも仕事を優先していたのでそれ以外に時間を使うことがほとんどなかった。
なのでそれに少し区切りがついて余裕ができた時、彼らのライブが観たいと思った。

とは言え、少し前に復活したイエモン以外はとっくに解散していて、というか僕が好きになった時にはすでに解散していて、ミッシェルとブランキーのライブを観ることは不可能だった。
なので僕は、イエモンに加え、ミッシェルのボーカルだったチバユウスケと、ブランキーのボーカルだった浅井健一が今組んでいるバンドのライブを観に行くことに決めた。

イエモンのボーカルである吉井和哉も含め、3人の中で僕が最後に観たのがチバだった。
生で聴いたベンジーこと浅井健一の歌唱には正直衰えを感じた(でもかっこよかった)けれども、2019年のフェスで観たチバの歌唱は変わらずかっこよかった。
あんなにも格好良くマラカスを振り回す男は他に存在するんだろうか。
その当時にはロックンロールってやつをそれほど聴かなくなっていたけれども、それでもやっぱりめちゃくちゃ格好良くてずっと泣きながら観てた。

こんな風に書いてきたけれども、僕はチバやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ROSSOやThe Birthdayの大ファンってわけじゃない。
好きではあるけど、全てのアルバムをみっちり書き込んだりはしてないし、ライブも結局その一回しか行ってない。
(でもそういや、1000のタンバリンをコピーしたり、インドで弾き語りしたことはあったな。)

世の中にはもっと彼や彼らのことが大好きで、かけがえがなくて、それこそ人生の大きな部分を占めていた人もいると思う。
それに比べたら僕の想いなんてちっぽけなものだとは思うけれども、それでもこの気持ちは書いておこうと思った。

人は死ぬ。

僕は自分が20歳、父が52歳の時に父が突然死しているので、そのことを比較的意識している方だと思う。
それでもこうやって、死というものを目の前に突きつけられるのはやりきれなさがあるね。

画像はthebirthday_officialから引用

「モネ、ルノワール 印象派の光」展に行ってきたよ

なんらかの展示会に行ったらブログを書こう、と思ってたのに過去2回分を書き残してなかったな。
ちなみにゴッホ展とミニチュア作品展に行ったんだけどまぁいいや。

ということで表題の通りモネとルノワールの展示会に行ってきました。
会場であった松岡美術館に行くのは始めてだったので、他の常設作品もひとおり鑑賞。

アート、好きなんですよね。
中学生の頃から夏休みの自由研究を美術館鑑賞とその感想で終わらせていたことから始まり、フランスでルーブルやオルセー、ニューヨークでMoMAを訪れたことでアートというものに興味を持つようになって。
そして現代アートに対して「なんでこれが評価されるんだ?」という疑問を持ったり、印象派の作品に心惹かれたりなんかがきっかけで、美術史については10冊弱くらいは本を読んで勉強したりもしました。

アートについては、心・感性で楽しむということも重要ですが、知識があることによって楽しみ方が増えるという側面も大きいと思います。
例えばマルセル・デュシャンが便器を裏返した”作品”を作ったのは有名ですが、それを通じてどのようなメッセージが込められているのか、また、それをどう咀嚼するか、という行為は楽しい。

ただ、今回の展示は印象派を主としたものであり、彼らの歴史における立ち位置や表現技法についてというよりも、単純に素敵な作品が観たい、というモチベーションで訪れました。
ルノワール、たぶん一番好きな作家なので。

ただ、訪れてみたら名前にスポットが当てられているのにも関わらず、ルノワールの作品は2点しかなく、肩透かしを食らった形。
他の作品も楽しめたので良かったのですが、さすがに羊頭狗肉ではないかなと感じました。

今後はもっと色々美術館にも行きたいな。
海外の美術館ももう随分訪れられていないから、そこもまた行きたい。

画像は公式サイトより引用

Kan Sano Solo Piano Live 2023 “ただI MA”に行ってきたよ 2023/10/05

彼自身の楽曲がすごく好き、よく聴いてる、というわけではないのだけれども、以下のような気になった楽曲に彼が参加しているってのがちょいちょいあったんですよね。

そんなある日、Xで彼がピアノ弾き語りメインのライブをやるぞ、というのを見かけました。
何度か書いてますが僕はピアノという楽器がとても好きで、いつかはピアノ・ボーカル・ベース(・ドラム)という構成でバンドをやりたいと思っています。
日々ピアノを練習しているのもその理由がメインなのですが、いつかのための参考になるかもしれないとライブのチケットを取りました。

いざ会場に着いてみたら雰囲気はライブというよりもコンサートに近い。
全席指定なので定められた席に座り、ほぼ埋まった客席からステージを眺めていました。
そしてライブが始まるわけですが、ピアノが上手いことが逆にノイズになっているな、という印象を受けたんですよね。

僕もその瞬間まであまり自覚してなかったんですが、”弾き語り”というのはあくまで歌がメインであり演奏は伴奏の役割を果たすもの、と自分の中で捉えていたんだなと感じました。
ただ、今回のライブでは歌と演奏が同じ立ち位置にいる感じで、たとえばバンド楽曲であればギターソロが頻繁に差し込まれるすぎているような印象を受けてしまって。

もちろんこれはあくまで僕の受け止め方であって、歌とピアノが競い合うように流れてくることを良いと感じる人もいるんだろうけど、僕個人としては終演まで上手く受け止めきれなかった感覚があります。
また、そもそも彼の楽曲が自分にあまり刺さっていないということもあってか、ライブを通じて一番印象に残った曲はFISHMANSのいかれたBabyのカバーでした。

なんだかネガティブな感想寄りになってしまったけど、ピアノというのは改めて素晴らしい楽器だと感じましたし、演奏も楽しめました。
そして「いいな!うらやましい!僕もやりたい!」と改めて感じ、毎日をより頑張っていきたいと思えたのもよかった。

人生を最高にする。
いつもそう思っていたいのについつい忘れがちだな。

人生を最高にする。

画像は公式サイトから引用

人生、今が全盛期

なんというかね、飽き飽きしてるんですよ。

「◯歳を超えたら一気に衰えが…」

みたいなやつに。

もちろん、人間が衰えていくのは事実です。
ただそれは、加齢によるものというよりも、単純にトレーニングをしていない期間が長いから、という原因の方が大きいと考えています。

以下の画像は、僕の5キロ走の記録です。

見ていただけると分かるように、最近になって約5年半前の記録を上回っています。
つまり、今の僕の身体は5年半前の自分よりも長距離を速く走ることができるようになった、ということです。

もちろん、5キロを5分/km以下という記録は大したものではありません。
そして陸上のトップアスリートであれば、25歳の記録と35歳の記録であれば前者の記録の方がよい場合の方が多いでしょう。
しかし、一般の方であればトレーニングをすることによって過去の自分を上回ることは十分に可能。

思考停止で加齢を言い訳にして、自分の可能性を低く見積もることを僕はしたくないわけですよ。
なんというか、根拠がよく分からない常識とか一般論みたいなものを押し付けられることが僕はとても嫌だし、率直に言うとそういう考えに凝り固まった人とは仲良くなれないと思う。

最近の僕は仕事のスキルも増してるし、ピアノも引き続き上手くなってる。
そして人間としても善くなってる(はず)。
人生において常に”今”がベストだし、それはこれからも変わらない。

もちろん、例えば60歳を超えたりすると色々ガタが来たりはするだろうけれども、それでも僕はそれを言い訳にして自分を諦めることはしない。
なぜなら、よく分からない理由でやりたいことを諦めるのはダサいから。

人生を最高にする。

ポップしなないで「合言葉はトキメキ」ツアー@福岡Queblickに行ってきたよ 23/03/25

前回のフルカワユタカのライブ参戦記事は3ヶ月半遅れとなってしまいましたが、この記事は当日書いています。
なぜなら、19:00過ぎという非常に健全な時間にライブが終わったから。

このポップしなないでというバンドを知ったきっかけは、以下の曲を聴いたことです。

特に最初のサビに至るまでがすき。
そこから、ちょこちょこと聴き続けてたんですが、今回福岡に来るということで3ヶ月ぶりのライブハウスで観てきました。

今回、メジャーデビューアルバムを冠してのツアーとのことだったんですが、過去のものも含めて色んな曲をやってくれてよかったです。
僕が好きなのは以下あたり。

聴いてもらえるとわかるように、個性的なボーカルとリズム、そして(ロック寄りではあるけど)ポップさが心地良いなと思ってます。

今日の編成はピアノ&ボーカルと、ドラムの2人。
なので弾き語りっぽい感じなのかな?と思ったら後ろでベースとかギターも鳴ってたんで、せっかくなら生の演奏で聴きたかったなーと。
ただ、ライブ映像だとギターもベースもいるみたいなんで、東京でライブに行けばたぶんその編成で聴けるかもなので、ひょっとしたら行くかも。

MCも自然体な感じで楽しめるライブでした。
予定調和で「とりあえず」みたいに行われるアンコールがあまり好きじゃないんだけど、みんながそれを望んでるような空気ができあがっててそれもよかった。

次はどんなライブに行こうかな。
竹内アンナがバンド編成で福岡に来るみたいだけどどうするかは悩み中。
宇多田ヒカルはめちゃくちゃ行きたい。
オーケストラも行きたい。

ピアノ、曲も作りたいしバンドでやりたいしジャズっぽいのも弾けるようになりたいしショパンやドビュッシーあたりにも触れてみたい。
人生が足りない。