ピントが合わない。

最近、目が悪くなってしまっていてかなしい。

そもそも僕は10歳くらいから結構目が悪くて、レーシック手術をしたのが15年くらい前。
それ以来は視力に関して特に問題はなかったんだけど、ここ半年くらいでだいぶ落ちてしまっている感じがするし、実際人間ドックでもそれを指摘された。
かなしい。

理由は良くわかんないんだよな。
iPadを買ったことで画面を見る時間が増えたから?とは思うけど。
ICLをすることで再度の視力向上を目指すって選択肢はあるけどひとまずは静観するつもり。

僕はPCやスマホから完全に離れて生活することはできるんだろうか。
そもそも仕事があるからどう考えても無理なんだけど、それ以外の時間は完全シャットアウト、みたいな。
難しいだろうなぁ。

うっ。はっ。すっ。

なにか書きたいことがあるわけじゃないんだけれども、とりあえずブログ作成画面を開いてみた。
不特定多数の誰かに伝えたいことなんて別にないんだよな。
自分の大切な人たちに伝えたいことはあったりもするけど。

ビジネス系の「皆さんのために本当は嫌だけどお伝えします!」みたいなのにうっ、ってなっちゃう。
本当に嫌なら伝えなくていいよ。
「便利な情報をお伝えするのでフォローしてください!」って言ってくれる方が気持ちよく受け取れていいね。

嘘はつきたくないしつかれたくもない。
自分の感情や考えと異なる言葉を発することに慣れると、それは習慣になってしまう。

「僕は一切嘘をつきません!」なんて言うつもりはないけれどもたぶん少ない方だとは思う。
単純に嘘をつくのってめんどくさいんですよね。
整合性を持たせる努力が必要だから、というよりも単純に自分の心がモヤモヤするから。
ということは、相手のために嘘をつくってのは自分の中ではありなのかもしれない。
それをついた記憶はぱっとは思い出せないけど。

僕は裏表も無い方だと思う。
だって自分を取り繕うのは面倒臭いから。
好かれようが嫌われようがどっちでもいいし、取り繕った自分を好きになられても良い関係にはならないと思ってるから。
逆に「取り繕ってるな〜」って感じる人とは仲良くならない。

でも。
高校の頃、何を言ってもめちゃくちゃ笑うクラスメイトがいて、最初は苦手だったんだけど「こいつはいつも本当に楽しくて笑ってるんだな」って気づいてからはめちゃくちゃ仲良くなった。

誰かを最初から全て理解することなんてできるわけないんだから、ちょっとした違和感があったとしてもポジティブに相対するようにしていきたいですね。
「取り繕われてる」っていうのも悪意によるものだけでなく、人見知りだったり僕のためにそうしているっていうケースもあるんだろうから。

そういや前に「揉め事があってもまた仲良くなれると思うのはコミュニケーション強者の発想だよ」って言葉(うろ覚え)を読んではっとなったことがある。
僕も気づかないうちに、人を嫌な気持ちにさせていることも多いんだろうな。
ごめんなさい。でも悪気はないんです。
あと、自分では自分をいいヤツだと思ってます。

基本的に誰とでも仲良くなりたいと思ってる。
「仲良くなりたくないな」と思ったらすっと離れるけど。

良いことを言いたいなんて思ってない。

ふと思い立って書き始めたブログ、3日連続の更新だ。

3日坊主を揶揄する人もいるけど、始めないよりえらい。
3日坊主も、10回繰り返せば1ヶ月継続したことになる。

IT界隈、毎日ブログ更新します!なんて言う人はたくさんいるけれども本当に継続する人はほぼいない。
そこに苦言を呈したいとかは全然ないんだけど、僕は友達が書く文章を読むのは好きなので僕が好きな人にはブログを更新してもらいたい。

ブログってもはや死語なのか?
Twitterも当初はマイクロブログなんて言ってたのに気づいたら陰キャのSNSなんて言われちゃったり名前まで変わっちゃったりする始末。
ちょっとした昔話をすると、2010年くらいはITリテラシーが高い人が集まるコミュニティーだったんですよね。

友達にブログを書いて欲しいとは言ったけれども、余所行きの文章にはそんなに唆られないんです。
そうじゃなく、魂のむき出しみたいな、感情が叫びだしたような、そういう文章が読みたい。

ただ、僕らはある程度大人になって、分別を持ち、配慮もできるようになってしまった。
もちろん僕も、世や誰かに対して怒りを覚えることもあるけど、それを公の場で撒き散らすほど馬鹿ではない。
でも、怒りを簡単に消化しきれるほど賢くもない。

今度焼肉を食べることになってふと考えたんだけど、たぶん数年ぶり。
焼肉ってあんまり唆られないんですよね。
シンプルといえば聞こえは良いけど、肉を切って焼くだけの料理だから。
美味しくはあるけれども、美味しくされるためにもっと色んな工夫がされてる料理の方が僕は嬉しい。

とはいえ久しぶりの焼肉が楽しみじゃないわけではない。
ちょっと変わったお店にしたんですよね。
僕は食事の際、料理だけでなく好奇心や体験も合わせて味わってる気がする。

ドキッとするようなタイトルつけたい。

新居での初料理はカレーでした。
なんか、ベタなものの方がいいかな、って。

材料は合いびき肉、マッシュルーム、しめじ、パプリカ、ヤングコーン。
そういやほうれん草も入れようと思ってたのに忘れてたことに今気がついた。
パプリカは黄色を買ったんだけど赤色の方が彩り良かったな。

料理はいいね。
楽しいし、美味しいものまで食べられるおまけ付き。
昨日の続きだけれども、こうやって生活に温度を取り戻していく。

やることが多い。
良いことだなとも思いつつ、そればかりだと逆に毎日が単調になる。
緩急がなくなるって言ったほうが正確かも。
でも、一息ついたり、色んな方向に心を動かしたい。

ドキドキしたい。

急に言葉で刺されるんでもいいし、怖くなるくらい楽しくなっちゃうんでもいい。
自分の想像以上に想像以上でありたい。

人生がつまらなくなる理由の一つとして、全てが想像の範囲内に収まっちゃうってのはあるのかもね。
その解決のために貧困な想像力であり続けるという方法もあるかもだけど、それじゃつまんないよね。

生活が温度を取り戻している。

藤原麻里菜さんのnoteがすき。
彼女が考えたこと、感じたことをとりとめなく書き綴っている感じ。毎日。
僕もやりたい、と思った。毎日じゃないと思うけど。

引っ越しをしました。
とは言ってもそれが完了したのはもう10日前。
福岡を2/3(土)に出て、東京の新居に荷物を搬入したのが5(月)。
そう、東京に、戻ってきた。

新生活を満喫できているのかと言えば全くそんなことはなくて。
主な理由としては体調を完全にぶっ壊していたから。
引っ越し翌日の午後くらいから急速に悪化して、翌日フラフラになりながら病院に倒れ込んだら39.5度。
引っ越したばかりで体温計がどこにあるか分からなかったからそこで初めて自分の体温を認識したんだけれども、そりゃしんどいわけだ。ははは。

そこからの復活に数日を要し、とは言え仕事もしつつ荷ほどきに目処がついたのが今日。
ようやく、仕事用の椅子に座りながらキーボードを叩けている。
今日まではダンボールに囲まれながらソファーに座ってローテーブルにモニターを置いて作業してたんだけど、思えば購入以来、一番長くソファーに座っていた期間だったかもしれない。

ようやく生活に温度が戻り始めた。
もちろん、家でご飯も食べていたしお風呂も入っていたし睡眠も取っていたけれども、それは生活というよりもただタスクをこなしていただけだった。
温度も色もない、必要な作業でしかなかった。

でも今日はご飯を炊き、それを小分けにして容器に入れ、今は僕の右の方で冷凍庫にしまうために冷ましている。
部屋の奥からはそれなりに気に入っているスピーカーから好きな音楽が流れていて、背中方向からは食器洗濯機が頑張っている音がする。

それなりの後悔をしようと思えばできるけれども、僕は自分の人生がすき。
そしてそれをもっと良くしようと、また東京に戻ってきた。
温度のある毎日を過ごしたいですね。