“書く”ということ。

僕は文章を書くことが好きです。

書く目的としては、必要なことを伝えるためだったり、思考を整理するためのものだったり、何かを振り返るためだったりするけれど、”書く”という行為そのものにデトックス効果を感じている。

高校生の頃。
当時よくあった、ガラケーでのバンドHPを作り、そこで「メンバーの日記」という形で毎日を記録するようになったことをきっかけに、受験生になってからも毎日毎日記録を書いていた。
ただ、その時の毎日は”勉強をした”という判を押されただけのものだったので、そこから日々の描写ではなく、自分の考えだったり思ったことだったりを書くようになっていった。
この頃の文章を載せていたサイトが閉鎖しちゃってもう見られないんだけれども、ちゃんとエクスポートして保存しておけばよかったなというのはそこそこ後悔している。

大学に入り、mixiなんかを経て自分のブログを持つようになって。
そこではToDoを公開するという試みをしていたので毎日更新を続けていて、文章を書くということが完全に習慣になっていって。
社会人になってからも頻度は落ちたけれどもブログは書き続けていた。

そして自身の会社を経営してからは「起業のリアル」という形でやるべきタスクとして更新を続けていた。
このおかげで採用できたり資金調達できたりできたという自覚があるので、この習慣を持ち続けてくれた自分への感謝もある。
丸二年ほど、本当に毎日書き続けていたことによって芽生えた自信もある。

それ以降も文章はわりと書き続けていて、オンラインで公開していないもの以外でもメモを10枚/日書くという習慣はもう20年弱くらいは続いているし、日・週・月の振り返りを書き起こすという行為ももう数年以上ずっと続けている。
もちろんそれをする目的はあるのだけれども、単純に僕は”書く”が好きなんだと思う。
いや、正確には書くというよりも自分の思考に形を与えて、そことの対話をすることに喜びを感じているのかもしれない。
書くことも好きだけれども、誰かと話すことも好きなのでね。

自分の書く文章としては、社会人に成りたてくらいのものが一番好きだった。
余白が多くて。
今の自分が書く文章や思考は、それぞれが役目を与え過ぎられている。
もっと自由に、自分の心の動きを絞り出したい。

まぁでも無理に変えなくてもいいかと思ってもいる。
ただ、もう少しここで文章を書く頻度は上げてもいいかもな。

「ブログ」という文化が好きだ。

昨日感想ブログというものを投稿したわけだけれども、もはやその文化は絶滅危惧種なのでは?と思ったのでちょっと書いてみてる。

そうなった理由はわりと明確で、今はブログじゃなくてもXなりInstagramなりでそれぞれのアウトプットができる場が増えてるんですよね。
まぁXはそもそも「マイクロブログ」という立ち位置で生まれていたわけで、そもそもブログとはなんぞや?という話にもなってくるわけだけれども。
上記2つ以外にも、mixiやFacebookあたりで文章を書いていた人も多かったけれども、2010年代前半くらいまではまだ、ブログというのは一定の立ち位置を保っていた印象。
しかしいまや、「ブログ」はもはや死語とすら言えるような状況になっている。

僕はブログ記事を見るのが好きなんですよね。
なぜなら、140文字という制約に縛られたり、画像に頼ったりすることなく、その人の脳みその中身を覗くことができるから。
ブログはSNSに比べると敷居が高いというのは事実だけれども、だからこそそれを乗り越えてでも書きたい文章っていうのはやっぱり面白い。

おそらく、ブログという文化がここから復権していくことはないと思う。
人は易きに流れるし、個人ブログで文章を書くよりもSNSで書いた方が多くの人に見られる可能性も高い。

それでも僕は、自分が慣れ親しんだインターネット文化としてのブログが好きだしこれからも書き続けていくんだと思う。

頑張るって言葉が嫌いじゃない。

線路を敷こう。

これだけ頑張ってればいい、やり続けられれば成功する、という道を作ろう。
それを定めたら脇目も振らずそこを駆け抜けるべき、という道を作ろう。

どうすれば勝てるのか、どうすれば伸びるのか。
ある程度は分かっているけれどもまだ解像度が低い。
これは言い訳でもあるんだけど、そこが定まったらもっと遮二無二やれる感があるので、まずは遮二無二そこを定める努力をすべき。

まぁ上記はビジネスの話で、人生を幸福にするための方法論は、わりと明確に整理できている。
そのおかげでだいぶ生きやすい感覚があるので、それをまとめるための努力をした2年前くらいの自分に感謝。

過去の自分に感謝しつつ、将来の自分にも感謝されるように今頑張らなきゃな。
頑張るのは今だけで良い。
今頑張らなければ、過去の分も頑張らなくちゃいけなくなる。

やっていくぞ。

だぜ。

だいたいの人の前では俺。
家族の中では僕。
妹に対してはお兄ちゃん。
仕事においては僕か私。
一人称、4つ使ってるんだね。

SNSで普段は使わないのにワイとかワシみたいな一人称を使う人に違和感がある。
あと、謎の関西弁とかも。
まぁ僕が普段方言使ってるから、エセ感を過剰に感じ取っているだけなのかも。
でもあれ、なんでなんでしょうね。

10月ももうすぐ半ばだぜ。
この1年はどうだった?
一番重要視していた目標はひとまず達成した。
別の目標はビハインドしてしまっている状態。

達成できていないことよりも、「絶対にやる」と覚悟を決めきれてないことのほうが問題。
飢えなければ、渇かなければ。
こんな格好つけた言葉を使う前に、とっととやれよと冷静な自分がいる。

まぁなんだかんだ今年もまだ残り2.5ヶ月ある。
気合を入れよう。

「やってる?」

ふと。

自分のブログをちょっと覗いてみたら、文章が書きたくなってしまった。
手前味噌だけれども、この記事すき。

年齢も30半ばをとうに越えているけれども、日々を過ごす中で今もなお、気づきや反省が多い。
そのたびに、改善策を考えて実行を試みるってのを続けてるんだけど、いつかこの習慣を放棄してしまう時が来るのだろうか。

前にも書いたけど、加齢のせいにしていろんなことを諦めるのが好きじゃないんですよね。
年齢は「その期間生きてきた」というただの事実でしかなくて、20代でも全く体力がない人もいるし、60代でもエネルギッシュな人もいる。
「◯歳超えると◯ができなくなって…」みたいなことを言う人はたくさんいるけれども、とりあえず今のところそれらの多くは嘘だな、って感じる。
今でも、朝までゲームとかよゆーでできちゃう。(いいことではない。)

でも、やりたいことがたくさんあるのに、そのための努力をしていない自分もすきじゃない。
やりたいことに人生を左右される必要はないけれども、主体的に、俺が、それをやりたいと思っているのに。

ぐだぐだ言わずに日々に誠実に取り組まなくてはいけない。
誠実だとちょっと行儀が良すぎるかも。
殺意を持って向かい合うくらいのつもりで日々に取り組みたいね。

やーめっぴ

なんとなく、このブログで普段感じたこととかを試しに書いてみていたけれども、タイトルの通りもう書かないかなーと思う。
今までみたいにライブに行った感想とかは書くと思うけど。

取り繕ったりかっこつけたりするつもりはないんだけれども、僕もある程度分別のある大人なわけで、感じたことや考えたこと、行ったこと全てをここに書き記しているわけではない。
そうやって意識的、もしくは無意識のブレーキをかけている状態で文章を書いたとしても、それ自体もそのアウトプットも面白くないな、と思ったんでやめます。

でも僕は、自分の思考や考えを文字にすることを止められない性分なので、手元で文章で書くことはやめない。
理由も目的も特に無いけど書く。
強いて理由をあげるとしたら、将来読み返すの面白いから、って感じかも。

将来の自分のために、今の自分がエンタメを仕込んでいる。

幸せでも不幸せでもいいよ

今日も書いたよ。

文章を書く、なのか溢れる、なのかひねり出す、なのかで生まれる文章が違うね。
今のこれは書くと溢れるの中間あたりかな。
義務ではないけれども、迸るほどのものがあるわけではない。

後悔なんてしようと思えばいくらでもできる。
逆に言えば、幸せになんてなろうと思えばいくらでもなれるのかも。

幸せですか?

って聞かれた時に幸せです、って答える人はどれくらいいるんだろうね。
なんとなくだけど「Are you Happy?」って聞かれた方が「YES!」って答える人は増えそうな気がする。

まぁ幸せでなきゃいけない、なんてことはないんですよね。
幸せになることを選ぼうが、不幸せになることを選ぼうがそれも人の勝手。
幸せであることは、イコール最高かといえばそうではないな、と感じる。
まぁ僕はとびきり幸せでありたいけど。

自分が幸せになるための要素はもうわかってる。
そして自分が幸せになりたいことももうわかってる。

じゃあ、やんなきゃだよなぁ。

ささくれ

一ヶ月くらい書いてなかったんだな。
まぁ書くペースを決めているわけではないからいいんだけれども。

ちょっと前に、自分が過去に書いていたブログを整理して一覧にした。
環境の変化等で今までに8個くらいのそれで書いていたことが判明。
まぁはるか昔にはSEO目的で数十個くらいのブログを運営していたこともあるんだけど、まぁそれは数えないとして。

少しだけ読み返してみたけれども、新卒1年目くらいの自分の文章が一番好きだったな。
みずみずしいというか。
今は自分の中に形があるものだけを文字にしている感がある。
昔みたいな文章を書こうと思えば書けると思うけど、それは自分の中から湧き出たものではなく意図されたまがいものな感じがする。

高校生の時に書いてたブログはサービス終了しちゃったから消えちゃったんだよな。
その頃の僕に会える唯一の手段だったから残念。
なくなるってニュースを知った時、なんとかして保存できるよう調べればよかった。

これからも僕は自分の心や思考を文章にしていくんだと思う。
それは誰のためでもない。
たぶん自分のためだとは思うけど、そんな理由も必要なくてただ書くという行為そのもののためにやっているのかもしれない。

とは言え、公開している場所では書ける内容に制限もあるんだけどね。
そういう場で文章を書く理由はよくわかってないけど、まぁいいや、って感じで続けてる。

僕と自律神経と私

自律神経がだめになってたんだろうな、という実感がある。

以前の僕はオフィスで寝て起床後に誇張なく30秒後には仕事に関する相談に受け答えができていたし、何かを食べると眠くなる、という感覚がずっと分からなかった。
夜になってもあんまり眠くならなかったし、交感神経が常にオンという状態だったんだとい思う。

いつ頃からそうなっていたのかはよくわからないけれども、大学生の頃くらいからはそうだったのかもしれない。
当時の僕は毎日ブログを書き、そこに毎日のToDoを記してそれの達成具合を常に公開してた。
毎日完璧に達成できていたわけではないけれども、できうる限りそうしようと努めていたので、「走る」をToDoに入れていた日は色んなタスクを終えて深夜3時になってから数キロ走りに出るっていう健康に良いんだか悪いんだか分からないことをしばしばしていた。

そして僕は社会人になり、起業し、毎日15時間働くような生活スタイルとなって馬鹿みたいなストレスを感じながら日々を過ごしていた。
あと、自律神経に大きく関わる首や肩の筋肉はコリまくり。
そりゃまぁ自律神経のひとつやふたつはぐちゃぐちゃになるだろう、っていうね。

前の会社を離れてから5年以上経つけれどもようやくマシになってきた感じがする。
生活におけるストレスはだいぶ少なくなっているし、運動も「散歩」という副交感神経寄りのカードを手に入れたおかげでそれがプラスに働いている感覚もある。
最近はお風呂にスマホを持ち込まないという空前絶後の難易度を誇る習慣も身につき、身体の凝りもだいぶましになってきた。

引っ越しによって完全に消失した運動習慣もまた今日から再開するつもり。
健康でありたい。