人生、今が全盛期

なんというかね、飽き飽きしてるんですよ。

「◯歳を超えたら一気に衰えが…」

みたいなやつに。

もちろん、人間が衰えていくのは事実です。
ただそれは、加齢によるものというよりも、単純にトレーニングをしていない期間が長いから、という原因の方が大きいと考えています。

以下の画像は、僕の5キロ走の記録です。

見ていただけると分かるように、最近になって約5年半前の記録を上回っています。
つまり、今の僕の身体は5年半前の自分よりも長距離を速く走ることができるようになった、ということです。

もちろん、5キロを5分/km以下という記録は大したものではありません。
そして陸上のトップアスリートであれば、25歳の記録と35歳の記録であれば前者の記録の方がよい場合の方が多いでしょう。
しかし、一般の方であればトレーニングをすることによって過去の自分を上回ることは十分に可能。

思考停止で加齢を言い訳にして、自分の可能性を低く見積もることを僕はしたくないわけですよ。
なんというか、根拠がよく分からない常識とか一般論みたいなものを押し付けられることが僕はとても嫌だし、率直に言うとそういう考えに凝り固まった人とは仲良くなれないと思う。

最近の僕は仕事のスキルも増してるし、ピアノも引き続き上手くなってる。
そして人間としても善くなってる(はず)。
人生において常に”今”がベストだし、それはこれからも変わらない。

もちろん、例えば60歳を超えたりすると色々ガタが来たりはするだろうけれども、それでも僕はそれを言い訳にして自分を諦めることはしない。
なぜなら、よく分からない理由でやりたいことを諦めるのはダサいから。

人生を最高にする。

2022年の振り返りと2023年のテーマ。

そういやこういう年末年始感あふれる記事をこのブログに書いたことなかったな、ってことで。
逆に今までなんで書いてなかったんだろうね。

2022年は山あり谷あり感もありつつ、
総括としては良い年だったんじゃないかなーと考えています。
なにより、体内のエネルギー量が回復し続けていることを感じられていて、
自社・他社さま含めて事業をゴリゴリやれるようになってきてるのが嬉しい。
特に去年末は本年を迎えるにあたってよい助走ができたなと感じられているので、
2023年ははちゃめちゃにやっていく所存です。

さて、じゃあそんな2023年はどんなテーマにするの?という話ですが、
まず僕が過去に掲げた年別のテーマは以下でした。
ーーーーー
2009:几帳面になる
2010:心を動かす
2011:不満足
2012:心技体
2013:早寝早起き
2014:変化
2015:初心
2016:執念
2017:飛躍
2018:基盤
2019:ホップ
2020:自分との約束
2021:本気・まずやる
2022:ロケットスタート
ーーーーー

2009年が「几帳面になる」ってテーマで、そこから毎年テーマを記録してるのは几帳面でいいですね笑。
そして今年のテーマは「激変」にしました。
「目標へのコミット」も入れようかと思ったんですが、「そんなん当たり前でしょ」という声が自分の中から聞こえてきたのでシンプルに。

何を変えていくのか、どのように変えていくのかはここでは書きませんが、
2023年は特に3つのトピックに絞ってガツッとやっていきます。
それぞれ達成するための細かい定量的な目標・行動設定はこの後行うつもり。

去年は事業推進やタスク消化を行うための方法論もアップデートできたのでよかった。
今年を最高の年にするという覚悟はバキバキにキマっているのでやっています。

やっていくぞ。

chillbill.の音楽と赦しについて

chillbill.の新曲「生きてるだけでちょーえらい」が2021/4/14(水)に出たことを契機として、彼・彼女らについて感じていることを形にしておきたいと思い筆を執りました。

まず、僕の音楽遍歴について軽く触れておきます。

中学の終わり頃にセックス・ピストルズであったりエピタフ周辺の洋楽パンクに遭遇して衝撃を受ける。
高校にて軽音楽部に入ったこともあり、ディープ・パープルあたりのハードロックやチルドレン・オブ・ボドムあたりのメタルを中心に聴くように。
しばらくはその傾向が続いていたけれどもハードな曲に疲れてきた結果、ミーターズやアース・ウインド&ファイアーあたりのファンクを少し経由して、J-POPや邦楽ロックを聴くようになり現在に至る、という経緯です。
ちなみに楽器は一時期はそういう系の学校に入ろうと思ってプロの方に習いつつ練習は10時間/日とかだったので、わりとガチでやってました。

話を戻して、先日偶然めぐりあったchillbill.がとても良い、という話をします。
この音楽を一言で表すなら、”赦し”だなと。
歌詞に意味なんて必要ないと思っていた時期もあったけれども、彼らのそれがとても響いてしまう。

以下、Immature Childishより

大人になって良かったこととか
指で数える程度しかないけど
数えられるだけ幸せなんだろうな

今までそこそこ頑張って生きた
自分の人生が可愛いと思う

以下、iiwakeより

気づけなくてごめんね
誰でもない僕のことなのに
思いの外いっぱいだったね
次は もっともっとうまくやるからね
気づけなくてごめんね。

世の中にはたくさんの応援ソングが存在します。
ただそれらは、前に進むためのもの、そしてその行為こそが尊いとされるものが多い。

でもchillbill.は楽曲や歌唱に流れる優しさとともに”今”を赦してくれる。
そのスタンスは彼らの新曲、「生きてるだけでちょーえらい」というタイトルからも感じられるのではないでしょうか。

頑張ったから偉いわけではない。
人それぞれに価値なんてなく、自分自身が納得できているならそれは幸福なわけです。
とかく他人からの評価が可視化されやすく、幸福の定型化・ランク付けが行われがちな世の中ではあるけれども、そんなこと知ったこっちゃない。
僕は僕の幸福を追い求め、これからも生きていきます。(すでに幸福なんだけど)

6月に出るらしいアルバム、楽しみです。

健康になりたい。

タイトルで全てを語りきっているので以下は全て蛇足。

この1ヶ月ばかりそれほど体調が良くなかったのですが、先週の水曜時点であまりにしんどくなってしまい、コロナ禍の関係で控えていた病院に行くことを決意。
木曜に受診して風邪であろうとの診断でしたが、その日の夜から急に39度程度の発熱。
翌日に上記の病院に相談したところ、紹介するので別病院の発熱外来を受診せよという指示をいただいたので、また翌日の土曜日に少し大きな病院を受診しました。

電話した時点では「PCR検査はやらない可能性もあるよ」と伝えられていたんですが、当日はスムーズにそちらの検査に移行。
これが噂の…とテンションが上がる間もなく完了し、陽性の場合は当日、そうでなければ翌々日に連絡がある旨を伝えられました。

症状を鑑みておそらくコロナではないだろう、と思ってはいたものの、これだけの高熱が数日間寝まくっても下がらない、という経験をしたことがなかったので少し身構えていた僕。
しかし結果としてはその日中に連絡は来ず、要するに僕の高熱やそれ以外の頭痛、倦怠感、喉の痛み、鼻詰まり、などの諸症状は風邪によるものであろう、とのことでした。

コロナでなくてよかったという安堵とともに、たかが風邪でこんなにしんどくなってしまうのか、という自分の身体への悲しみが生まれてきて。
元々、身体は丈夫なはずだったんだけどな。

 
僕は2011年4月から社会人として働き、心身や人生を削って働いてきたという自覚があります。
むしろ大学生であった2010年時点から内定先で働いたり自分でサイトを作ったりしていたので、その頃からわりと詰め気味ではあったかも。
過去の大学受験時にも受験完了後に救急車で運ばれた経験もあり、たぶん自分の限界ギリギリまでアクセルを踏み込んでしまうタイプなんです。
まぁ受験期のそれは、父の死に関連した精神的なものや、急に運動をした結果ではあると思ってるけど。

何が言いたいかと言うと、上記の通りの生き方をしてきたのでちょうど2年前の前職を離れたタイミングで少し休息を取ろうと思ったわけです。
それに伴い地方移住もしたし、日々の過ごし方もガラッと変えた。
元々食事にはわりと気を遣ってるほうだったと思うけど引き続きちゃんと栄養を摂り、運動も行い、睡眠は少し少なめだったかもだけどそれなりには眠れていたはず。

にもかかわらず、未だに身体の疲れが取りきれない。
以前は朝起きた時点で自分の身体の底に疲労が溜まっていた感覚があったのでましになってきたとは感じるけれども、それでもまだ完全にリフレッシュできたという感覚がない。

 
理由を考えてみたけれども「健康になるには時間がかかる」ってだけかなーと。
学生時代から楽器をやっていたこともあり肩こりとは15年の付き合い、そして上記のように無茶な働き方を8年くらい続けていたので、そうやって積み重ねてきたものを2年ぽっちで全て解消できると目論んでたのがそもそも甘かったんだなと。

とは言え、日々の生活の中で改善できることはまだあると思ってます。
野菜摂取が少なく感じたので最近スムージー習慣を生活の中に組み入れて、「今まで診てきた中で一番凝ってる」と言われながら整体にも通ってる。
運動量も徐々に増やしていってる半ばだったし、睡眠だってもっとよくできる。
要するに、自分の身体に希望を持とうが絶望しようが結局はやるべきことは変わらなくて、ベストを尽くすということだけ。

今回の体調不良はほんとに泣いちゃうくらいしんどくてもう二度とこんなふうになりたくないな、と思えたのでよいきっかけだったなと。
(少し話はそれますが、僕は根っからのポジティブというよりもその方が合理的だなと感じるのでポジティブなのでは?と最近ふと感じました。)

 
僕はですね、100歳どころか120歳でも150歳でもいくらでも長生きしたいんですよ。
ただ、それは当然ある程度健康であるということが前提であり、ベッドの上で苦痛に悶え苦しみ50年生き長らえたいかと言えばそれはしんどい。

人生を最高にするためにできることはなんだってしたい。
そしてそれは常に健全な心身の上に成り立っている。

健康になりたい。