頑張るって言葉が嫌いじゃない。

線路を敷こう。

これだけ頑張ってればいい、やり続けられれば成功する、という道を作ろう。
それを定めたら脇目も振らずそこを駆け抜けるべき、という道を作ろう。

どうすれば勝てるのか、どうすれば伸びるのか。
ある程度は分かっているけれどもまだ解像度が低い。
これは言い訳でもあるんだけど、そこが定まったらもっと遮二無二やれる感があるので、まずは遮二無二そこを定める努力をすべき。

まぁ上記はビジネスの話で、人生を幸福にするための方法論は、わりと明確に整理できている。
そのおかげでだいぶ生きやすい感覚があるので、それをまとめるための努力をした2年前くらいの自分に感謝。

過去の自分に感謝しつつ、将来の自分にも感謝されるように今頑張らなきゃな。
頑張るのは今だけで良い。
今頑張らなければ、過去の分も頑張らなくちゃいけなくなる。

やっていくぞ。

だぜ。

だいたいの人の前では俺。
家族の中では僕。
妹に対してはお兄ちゃん。
仕事においては僕か私。
一人称、5つ使ってるんだね。

SNSで普段は使わないのにワイとかワシみたいな一人称を使う人に違和感がある。
あと、謎の関西弁とかも。
まぁ僕が普段方言使ってるから、エセ感を過剰に感じ取っているだけなのかも。
でもあれ、なんでなんでしょうね。

10月ももうすぐ半ばだぜ。
この1年はどうだった?
一番重要視していた目標はひとまず達成した。
別の目標はビハインドしてしまっている状態。

達成できていないことよりも、「絶対にやる」と覚悟を決めきれてないことのほうが問題。
飢えなければ、渇かなければ。
こんな格好つけた言葉を使う前に、とっととやれよと冷静な自分がいる。

まぁなんだかんだ今年もまだ残り2.5ヶ月ある。
気合を入れよう。

「やってる?」

ふと。

自分のブログをちょっと覗いてみたら、文章が書きたくなってしまった。
手前味噌だけれども、この記事すき。

年齢も30半ばをとうに越えているけれども、日々を過ごす中で今もなお、気づきや反省が多い。
そのたびに、改善策を考えて実行を試みるってのを続けてるんだけど、いつかこの習慣を放棄してしまう時が来るのだろうか。

前にも書いたけど、加齢のせいにしていろんなことを諦めるのが好きじゃないんですよね。
年齢は「その期間生きてきた」というただの事実でしかなくて、20代でも全く体力がない人もいるし、60代でもエネルギッシュな人もいる。
「◯歳超えると◯ができなくなって…」みたいなことを言う人はたくさんいるけれども、とりあえず今のところそれらの多くは嘘だな、って感じる。
今でも、朝までゲームとかよゆーでできちゃう。(いいことではない。)

でも、やりたいことがたくさんあるのに、そのための努力をしていない自分もすきじゃない。
やりたいことに人生を左右される必要はないけれども、主体的に、俺が、それをやりたいと思っているのに。

ぐだぐだ言わずに日々に誠実に取り組まなくてはいけない。
誠実だとちょっと行儀が良すぎるかも。
殺意を持って向かい合うくらいのつもりで日々に取り組みたいね。

ポップしなないでワンマンツアー「鼓動を聴かせて」@LIQUIDROOMに行ってきたよ

正直、ライブの1週間前までは行くかどうか迷ってたというか、むしろ行かないだろうなーと思ってました。
理由としては、当日の6日前にレッチリのライブを控えていたのと、新しいアルバムはシングルカットされた曲はわりと好きだけどその他の曲はそこまで響かなかったので。

ただ、レッチリのライブがなんだか消化不良だったのと、新アルバムに収録された以下の曲がとてもとても好きなので、やっぱり訪れることに。
あと、前回福岡で観た時と違いサポートも入ってバンド編成ってこともあって、いざチケット買ったあとは結構楽しみになってました。
ちなみに当日の少し前にソールドアウトしてたみたいなのでぎりぎりのタイミングだった。
そして結論として、行ってよかったなーとなりました。

筋少以来のLIQUIDROOMに着いてみたら、キャパ900人の箱が超満員でびっくり。
福岡で観た時はたぶん200人くらい?の動員だったのでまずそこでちょっと感慨深かった。
ちなみに上の記事で好きになったきっかけとかは書いているのでこの記事でさらっと好きな点を書いておくと、独特な歌唱スタイルと、凝ったメロディー・リズムが好きです。

で、ライブが始まったわけだけれども、まずバスドラが響いて気持ちい〜!ってなってました。
前述のレッチリライブではチャドとフリーっていう最強のリズム体が揃っているにも関わらず、バスドラもベースもあんまり聴こえなくて萎えてたので。

もっとベースを前に出してほしいなとは思ったけど、そういうバンドではないし完全に個人の好みであるのは理解しています。
ちなみにアンコール前後くらいのバランスは好みだった。
さらにちなむとサポートで入っていたベースの方がやってるar syuraってバンドの以下の曲はベースがゴリゴリで好き。

少し余談にはなりますが、ワンマンライブって好きなんですよね。
その対象が好きな人しか集まってない空間で、その好きなものをみんなで共有するっていう空間なんで。
昔、babamaniaっていうバンドのワンマンライブがどうにかなっちゃうくらい異常に楽しかった記憶があって、あの瞬間をまた味わうためにライブに通い続けている気もする。

ライブ自体としては、新アルバムを中心としつつ過去の曲も色々と演ってて、バンド編成だと表情も変わるし全曲楽しめた感がありました。
上で書いたように配信で聴いた際にはあまり響かないなと感じた曲も、思ったよりいいかもってなったからもうちょっと聴いてみようかな、って感じ。
ちなみに新アルバムに再録された「好きになったような気がしたんだ」は前から好きだったんだけど、聴いてたらなぜか泣いてしまった。
そして今も再録という可能性があるのであればヤンキーラブもいつか、もしくはせめて音源を配信してほしいなとはずっと思ってる。

あと、直近2つのライブでだいぶストレスを感じていたので、観客がスマホを掲げてない、ってだけでだいぶ満足度が上がった。
海外アーティストはスマホOKのことが多いので、今後はよっぽどのことがなければちょっと敬遠したいなあと思ってます。

ついでに余談を続けると、ドラムもやっぱりかっこいいなーってなってました。
僕、過去にバンド組んでたのに加えて小さいころのピアノの発表会を含めるとベース・ボーカル・ギター・ピアノは人前で演奏した機会があるんですが、ドラムはないんですよね。
今日のライブはキーボード・ボーカル・ドラム・ギター・ベース・マニピュレーターっていう構成だったんだけれども、マニピュレーターは一旦除いて他の楽器はやったことあるので、どうせならドラムもやってみたいよなーって。
やっぱり人生が足りない。

ここ最近、睡眠リズムが崩れに崩れていてとても良くない状態だったのだけれども、もっと頑張っていきたい、もっと人生を最高にしていきたいと改めて思えたので良い機会でした。
がんばります。

※画像は公式サイトから引用。

RED HOT CHILI PEPPERS [The Unlimited Love Tour] 2024@東京ドームに行ってきたよ

普段は邦楽ばっかり聴いているのだけれども、2回続けて海外アーティストのライブへ。
前回のマネスキンでのライブ体験が最悪すぎたので、以前フェスで観て良かったレッチリを観て口直しをしたいな、と。
ただ、結論から書くと今日もちょっと消化不良なんだけれども…。

ちなみにレッチリに関する想いについては上記のフェス記事で書いたのでこちらでは割愛。
ちなみに東京ドームでのライブへの参加は初めて。
席はそこそこ良いチケットにしたんだけれども、そこそこ近いし人が前にちょうどいない席で開場前はテンションだいぶ上がってました。

で、演奏が始まったらもちろん彼らはかっこいい。
かっこいい。のだけれども、あれ?なんだか微妙だぞ、ってなってきちゃって。
なんでかと言うと、音量のバランスが(少なくとも僕の席では)良くなくて、バスドラやベースがあんまり聴こえない。
もちろんベースだけが目立つような場面ではしっかり聴こえているのだけれども、ボーカルが歌い出すとそちらが非常に強く出ててまるでJ-POPの歌ものアーティストみたいだな、ってなっちゃってどんどんテンションが下がっていってしまいました。
これが音響の問題なのか、PAさんの方針によるものなのかは分からない。

まぁ音響はさておきである程度楽しもうとしたし、実際かっこよくもあるんだけれども、没入しきれずさらっと終わってしまったなぁという感想でした。
東京ドームは音楽ライブのために建てられたものではないのでもちろんしょうがないんだけれども、今後東京ドームや他のドームで開かれるライブにはもう行かなくていいかなーって。
彼らを前回観た時も野外だったので音響最高!というわけではなかったし自分の中で美化してしまっていた可能性もあるけれども、それにしたって迫力がだいぶ削がれているなぁという印象だった。

ドームツアーをやるようなアーティストのライブを観たい場合、音響には目をつむる前提になるのかもなーとも思ってた。
なんかいいライブに行きたいなぁ。

※画像は公式サイトから引用。

やーめっぴ

なんとなく、このブログで普段感じたこととかを試しに書いてみていたけれども、タイトルの通りもう書かないかなーと思う。
今までみたいにライブに行った感想とかは書くと思うけど。

取り繕ったりかっこつけたりするつもりはないんだけれども、僕もある程度分別のある大人なわけで、感じたことや考えたこと、行ったこと全てをここに書き記しているわけではない。
そうやって意識的、もしくは無意識のブレーキをかけている状態で文章を書いたとしても、それ自体もそのアウトプットも面白くないな、と思ったんでやめます。

でも僕は、自分の思考や考えを文字にすることを止められない性分なので、手元で文章で書くことはやめない。
理由も目的も特に無いけど書く。
強いて理由をあげるとしたら、将来読み返すの面白いから、って感じかも。

将来の自分のために、今の自分がエンタメを仕込んでいる。

幸せでも不幸せでもいいよ

今日も書いたよ。

文章を書く、なのか溢れる、なのかひねり出す、なのかで生まれる文章が違うね。
今のこれは書くと溢れるの中間あたりかな。
義務ではないけれども、迸るほどのものがあるわけではない。

後悔なんてしようと思えばいくらでもできる。
逆に言えば、幸せになんてなろうと思えばいくらでもなれるのかも。

幸せですか?

って聞かれた時に幸せです、って答える人はどれくらいいるんだろうね。
なんとなくだけど「Are you Happy?」って聞かれた方が「YES!」って答える人は増えそうな気がする。

まぁ幸せでなきゃいけない、なんてことはないんですよね。
幸せになることを選ぼうが、不幸せになることを選ぼうがそれも人の勝手。
幸せであることは、イコール最高かといえばそうではないな、と感じる。
まぁ僕はとびきり幸せでありたいけど。

自分が幸せになるための要素はもうわかってる。
そして自分が幸せになりたいことももうわかってる。

じゃあ、やんなきゃだよなぁ。

ささくれ

一ヶ月くらい書いてなかったんだな。
まぁ書くペースを決めているわけではないからいいんだけれども。

ちょっと前に、自分が過去に書いていたブログを整理して一覧にした。
環境の変化等で今までに8個くらいのそれで書いていたことが判明。
まぁはるか昔にはSEO目的で数十個くらいのブログを運営していたこともあるんだけど、まぁそれは数えないとして。

少しだけ読み返してみたけれども、新卒1年目くらいの自分の文章が一番好きだったな。
みずみずしいというか。
今は自分の中に形があるものだけを文字にしている感がある。
昔みたいな文章を書こうと思えば書けると思うけど、それは自分の中から湧き出たものではなく意図されたまがいものな感じがする。

高校生の時に書いてたブログはサービス終了しちゃったから消えちゃったんだよな。
その頃の僕に会える唯一の手段だったから残念。
なくなるってニュースを知った時、なんとかして保存できるよう調べればよかった。

これからも僕は自分の心や思考を文章にしていくんだと思う。
それは誰のためでもない。
たぶん自分のためだとは思うけど、そんな理由も必要なくてただ書くという行為そのもののためにやっているのかもしれない。

とは言え、公開している場所では書ける内容に制限もあるんだけどね。
そういう場で文章を書く理由はよくわかってないけど、まぁいいや、って感じで続けてる。

僕と自律神経と私

自律神経がだめになってたんだろうな、という実感がある。

以前の僕はオフィスで寝て起床後に誇張なく30秒後には仕事に関する相談に受け答えができていたし、何かを食べると眠くなる、という感覚がずっと分からなかった。
夜になってもあんまり眠くならなかったし、交感神経が常にオンという状態だったんだとい思う。

いつ頃からそうなっていたのかはよくわからないけれども、大学生の頃くらいからはそうだったのかもしれない。
当時の僕は毎日ブログを書き、そこに毎日のToDoを記してそれの達成具合を常に公開してた。
毎日完璧に達成できていたわけではないけれども、できうる限りそうしようと努めていたので、「走る」をToDoに入れていた日は色んなタスクを終えて深夜3時になってから数キロ走りに出るっていう健康に良いんだか悪いんだか分からないことをしばしばしていた。

そして僕は社会人になり、起業し、毎日15時間働くような生活スタイルとなって馬鹿みたいなストレスを感じながら日々を過ごしていた。
あと、自律神経に大きく関わる首や肩の筋肉はコリまくり。
そりゃまぁ自律神経のひとつやふたつはぐちゃぐちゃになるだろう、っていうね。

前の会社を離れてから5年以上経つけれどもようやくマシになってきた感じがする。
生活におけるストレスはだいぶ少なくなっているし、運動も「散歩」という副交感神経寄りのカードを手に入れたおかげでそれがプラスに働いている感覚もある。
最近はお風呂にスマホを持ち込まないという空前絶後の難易度を誇る習慣も身につき、身体の凝りもだいぶましになってきた。

引っ越しによって完全に消失した運動習慣もまた今日から再開するつもり。
健康でありたい。

タイトルが内容を定義する。

このブログを書く時、先にタイトルを書く場合と文章を書いた後でタイトルを書く場合の2パターンある。

ここでは誰かの役に立つ内容を書こう、みたいな意識はほぼなくてとりとめのない文章を書こうと思ってるんだけど、前者の場合タイトルに沿った内容にしようという意識が自分の中で結構働くな、と思った。
こういったことを昨晩にお風呂に入りながら考えていたんだけれども、考えたきっかけや、その上でどう思ったか、みたいなのは忘れちゃった。
まぁ基本的にこのブログは内容をダーって書いちゃって、その上でタイトルを決めるほうが目的というか意図に沿っている感じがする。

「昨晩」って言葉は便利だなぁと上の文章を書きながら思った。
その言葉を知らなければ、「昨日の夜」って書くしかないんだよね。
もちろん、昨晩って言葉は非常にありふれたものなのでみんな知っていると思うけれども、こういう語彙力によって簡潔な文章を書けるか否かの差は生まれるなーって感じた。

語彙力を増やすにはどうすれば良いんだろうね。
まぁ辞書を読み続けるとかでも良いと思うけどそれはあまりにも修行だしそもそも語彙力を増やすことにそこまで熱意があるわけではない。
ちゃんとした本を読んで、分からない単語があったら調べるってのを続けるのが現実的。

文章力を伸ばすにはどうすれば良いんだろうね。
いい文章を読むことに加えて、自分の文章を自己・他者に添削してもらうっていうのが方法としては一番よさそうだけれども、これも別にそこまでする熱意があるわけではない。

文章力っていうのもいくつかの要素に構成できると思ってて、例えば自分の思考を明確に伝える、魅力的な比喩や表現を使える、あたりは別のもの。
で、ひとまず僕の生活に必要なのは前者で、そちらについてはまぁ一定のレベルはクリアできてるんじゃないかな。
昔、名著と言われる考える技術・書く技術を読んだけれども内容全然覚えてないや。
どっかしらで読み直しても良いかもしれないけど、その予定はない。

「いい本」を読みたいんですよね。
新著とかで必要な知識を入れてもいいんだけれども、やっぱり時間を超えて読み続けられているような本のほうがパワーがあって学ぶことが多い。
新著で薬どころか毒になってしまうような知識を入れても、ジャンクフードを食べているようなもんで時間を浪費してしまうだけでなく思考が汚染されてしまう気すらしてしまう。
とはいえ、何かに出会うためにはある程度はハズレを引くことは覚悟していかなくては、と思ってるけど。