タイトルが内容を定義する。

このブログを書く時、先にタイトルを書く場合と文章を書いた後でタイトルを書く場合の2パターンある。

ここでは誰かの役に立つ内容を書こう、みたいな意識はほぼなくてとりとめのない文章を書こうと思ってるんだけど、前者の場合タイトルに沿った内容にしようという意識が自分の中で結構働くな、と思った。
こういったことを昨晩にお風呂に入りながら考えていたんだけれども、考えたきっかけや、その上でどう思ったか、みたいなのは忘れちゃった。
まぁ基本的にこのブログは内容をダーって書いちゃって、その上でタイトルを決めるほうが目的というか意図に沿っている感じがする。

「昨晩」って言葉は便利だなぁと上の文章を書きながら思った。
その言葉を知らなければ、「昨日の夜」って書くしかないんだよね。
もちろん、昨晩って言葉は非常にありふれたものなのでみんな知っていると思うけれども、こういう語彙力によって簡潔な文章を書けるか否かの差は生まれるなーって感じた。

語彙力を増やすにはどうすれば良いんだろうね。
まぁ辞書を読み続けるとかでも良いと思うけどそれはあまりにも修行だしそもそも語彙力を増やすことにそこまで熱意があるわけではない。
ちゃんとした本を読んで、分からない単語があったら調べるってのを続けるのが現実的。

文章力を伸ばすにはどうすれば良いんだろうね。
いい文章を読むことに加えて、自分の文章を自己・他者に添削してもらうっていうのが方法としては一番よさそうだけれども、これも別にそこまでする熱意があるわけではない。

文章力っていうのもいくつかの要素に構成できると思ってて、例えば自分の思考を明確に伝える、魅力的な比喩や表現を使える、あたりは別のもの。
で、ひとまず僕の生活に必要なのは前者で、そちらについてはまぁ一定のレベルはクリアできてるんじゃないかな。
昔、名著と言われる考える技術・書く技術を読んだけれども内容全然覚えてないや。
どっかしらで読み直しても良いかもしれないけど、その予定はない。

「いい本」を読みたいんですよね。
新著とかで必要な知識を入れてもいいんだけれども、やっぱり時間を超えて読み続けられているような本のほうがパワーがあって学ぶことが多い。
新著で薬どころか毒になってしまうような知識を入れても、ジャンクフードを食べているようなもんで時間を浪費してしまうだけでなく思考が汚染されてしまう気すらしてしまう。
とはいえ、何かに出会うためにはある程度はハズレを引くことは覚悟していかなくては、と思ってるけど。

陽射しに起こされている

3月じゃん。

2月、半分以上体調が悪かったな。
引越し後に39.5度くらいの熱が出て、ようやく治ったと思ってマッサージ行ったら首鳴らす施術をされて違和感が続いてMRIまで撮りに行った。
まぁどちらも回復してきたので大丈夫なんだけど、2月はもろもろをあまり前に進められなかった。

とは言え、やるべきことをやったのはとても偉かった。
自分で自分を褒めること、甘えにつながるからと思って昔は意識的に避けてたんだけど、結構大事なのでは?と少し前から思い始めたんですよ。

3月はまた一気にアクセル踏んでいくぞ。
まだ細々としたタスクがバラけてたりするけれども、それらをできるだけ早めにこなして、集中していく。

「生き急いでる」って言われることもあるけれども、たぶんせっかちなんだろうな。
ゲームの待ち時間にもボタンを連打するタイプ。
「何もしない」が嫌いなわけじゃないけど、たぶん色々やることの方が好きなだけなんだと思う。

「頑張りたい」というよりも、「暇でありたくない」みたいな。
まぁ「暇だ」と感じることってあんまりというかほとんどないんだけど。
だって時間がもしあったら本読むなり音楽聴くなり、今だったらスマホがあればいくらでもやれることはあるからね。

もっと早く寝ようとも思ってる。
前の家での寝室は朝の陽射しが入らなかったので疲れてる時は遅い時間まで寝られてたんだけど、今の家はそれが入ってくるので強制的に起こされている感がある。
UVカットのレースカーテンは付けていて、遮光カーテンは付けていない。
なので遮光カーテンを付けてもいいんだけど、陽射しで目覚めるのは健康的な気もするのでとりあえず今の環境継続で早めに寝るってのが一番よい解決策。

サクサクバキバキガンガンやってこ。

50年ぶりでもそうだよ。

昨日は友達と会っていた。

2人で会うのは3年ぶりくらい?
そして焼肉食べたのも数年ぶりくらいな気がする。

仲がいい友達でも数年会わないって僕の中ではわりとざら。
特にここ数年は福岡にいたし、その前も仕事ばっかりしてたからそもそも人と会う機会があんまりなかった。
その期間は友達とご飯を食べにいったのが半年で2回しかなくてずっと仕事してた。

人と話すことはすき。
友達と会うのもすき。
でも1人の時間も好きだし、目指したいものがあるならそれに時間を割く、っていうスタンスで生きてる。

だって久しぶりに会ったとしても全然楽しく過ごせるしね。
ちょっと長い期間会わないくらいで関係が切れてしまうのだとしたら、それはそれだけの関係でしかないししょうがない。
例え10年以上会わなかったとしても、今僕の周りにいてくれてる友達は変わらず大切。

逆に、新しい友だちが欲しい欲求があんまりないんですよね。
もちろん、良い出会いがあったらそこで仲良くなるのは全く吝かではないけれども、すでに友達は結構いるから必要にかられて、というわけではない。
僕もフットワークは軽いほうではあるけど、友達を増やす欲求が強い人を見ると自分とは違うなーって感じる。

もちろん、それを否定したり下に見たりみたいな感情は一切ない。
みんながみんな、幸せの形は違うからね。
それを自覚しているか否かはともかく。

幸せが定義されがちな社会だけれども、そうやって出来上がったそれに関心がない。

踏み直してる

ここ1ヶ月弱くらいバッタバタだったな。

先月末くらいから体調が悪かったところに、福岡→東京への引っ越しでとどめを刺されてぶっ倒れて、1週間くらいは結構しんどかった。
で、その影響で引越し後の作業や対応がもろもろ遅れて、とは言え仕事もしなくてはいけなくて、みたいな感じ。
そもそも体調悪かったのも東京と福岡をちょいちょい行き来してたからってのもある。
長距離移動、何をしているわけでもないのになんか疲れちゃうのはなんでなんだろうね。

まぁとはいえ、体調も2週間くらいかけてほぼ戻ったし、今日でいったんの仕事の山場は超えた。
引っ越し関連業務も、9割くらいは終わって後はいらないものをいくつか処分するだけ。

生活を軌道に乗せ直さないと。
まずは良いマッサージを探さなくちゃいけない。
半月以上マッサージに行けてないので、身体が凝り固まっている感覚がすごくある。
なので、明日は絶対にマッサージを予約する。

今までの人生、何度もアクセルを踏み直してる。
まっすぐ走ってばかりじゃなくて、それこそ逆方向に向かうタイミングもあったりするから、常にアクセル全開ってわけにはいかない。

どこに向かって走るのかをきちんと意識しなきゃね。
身体が一つじゃたりないなぁ。

またひとつ変えた。

昨日書いたように目が悪くなってきてる感覚があるので、とりあえずお風呂にスマホを持ち込むのをやめることにした。
で、中では頭皮とか目の周り、目の筋肉のストレッチやマッサージをする感じ。
昨日早速やってみたけれどもよかったので続けるつもり。

最近、数年前の出来事についてちょっと後悔してしまうことがある。
まぁそんなこと言ってもしょうがない、っていうのは理解してるし、本気でへこんだりしているわけではないのだけれども。
だけれども、人生万事塞翁が馬、瓢箪から駒でございますので、その紆余曲折があったからこそ今がある、って感じにしていきたいですね。
全部最高にしたい。

求めなきゃ得られない。
求めてないのに何かを得たとしても、それが自分を幸福にしてくれるとは限らない。
求めてないのに得たものが自分を幸福にしてくれることももちろんあるけどね。

しっかりと求めよう。
そしてその自分の欲求に責任を持とう。

このブログを書く意味ってなんだろう。
UIが違うからか、Xよりももう少し連続した思考が自分の中で出て来やすい気がする。
あと、こっちのほうが人に見られにくいから正直なことを書きやすい気がする。

昨日まではブログ記事をXに投稿していたけれども、今日からはやめることにした。
Xとブログで書くことが重複していたとしてもまぁいいや。

ピントが合わない。

最近、目が悪くなってしまっていてかなしい。

そもそも僕は10歳くらいから結構目が悪くて、レーシック手術をしたのが15年くらい前。
それ以来は視力に関して特に問題はなかったんだけど、ここ半年くらいでだいぶ落ちてしまっている感じがするし、実際人間ドックでもそれを指摘された。
かなしい。

理由は良くわかんないんだよな。
iPadを買ったことで画面を見る時間が増えたから?とは思うけど。
ICLをすることで再度の視力向上を目指すって選択肢はあるけどひとまずは静観するつもり。

僕はPCやスマホから完全に離れて生活することはできるんだろうか。
そもそも仕事があるからどう考えても無理なんだけど、それ以外の時間は完全シャットアウト、みたいな。
難しいだろうなぁ。

うっ。はっ。すっ。

なにか書きたいことがあるわけじゃないんだけれども、とりあえずブログ作成画面を開いてみた。
不特定多数の誰かに伝えたいことなんて別にないんだよな。
自分の大切な人たちに伝えたいことはあったりもするけど。

ビジネス系の「皆さんのために本当は嫌だけどお伝えします!」みたいなのにうっ、ってなっちゃう。
本当に嫌なら伝えなくていいよ。
「便利な情報をお伝えするのでフォローしてください!」って言ってくれる方が気持ちよく受け取れていいね。

嘘はつきたくないしつかれたくもない。
自分の感情や考えと異なる言葉を発することに慣れると、それは習慣になってしまう。

「僕は一切嘘をつきません!」なんて言うつもりはないけれどもたぶん少ない方だとは思う。
単純に嘘をつくのってめんどくさいんですよね。
整合性を持たせる努力が必要だから、というよりも単純に自分の心がモヤモヤするから。
ということは、相手のために嘘をつくってのは自分の中ではありなのかもしれない。
それをついた記憶はぱっとは思い出せないけど。

僕は裏表も無い方だと思う。
だって自分を取り繕うのは面倒臭いから。
好かれようが嫌われようがどっちでもいいし、取り繕った自分を好きになられても良い関係にはならないと思ってるから。
逆に「取り繕ってるな〜」って感じる人とは仲良くならない。

でも。
高校の頃、何を言ってもめちゃくちゃ笑うクラスメイトがいて、最初は苦手だったんだけど「こいつはいつも本当に楽しくて笑ってるんだな」って気づいてからはめちゃくちゃ仲良くなった。

誰かを最初から全て理解することなんてできるわけないんだから、ちょっとした違和感があったとしてもポジティブに相対するようにしていきたいですね。
「取り繕われてる」っていうのも悪意によるものだけでなく、人見知りだったり僕のためにそうしているっていうケースもあるんだろうから。

そういや前に「揉め事があってもまた仲良くなれると思うのはコミュニケーション強者の発想だよ」って言葉(うろ覚え)を読んではっとなったことがある。
僕も気づかないうちに、人を嫌な気持ちにさせていることも多いんだろうな。
ごめんなさい。でも悪気はないんです。
あと、自分では自分をいいヤツだと思ってます。

基本的に誰とでも仲良くなりたいと思ってる。
「仲良くなりたくないな」と思ったらすっと離れるけど。

良いことを言いたいなんて思ってない。

ふと思い立って書き始めたブログ、3日連続の更新だ。

3日坊主を揶揄する人もいるけど、始めないよりえらい。
3日坊主も、10回繰り返せば1ヶ月継続したことになる。

IT界隈、毎日ブログ更新します!なんて言う人はたくさんいるけれども本当に継続する人はほぼいない。
そこに苦言を呈したいとかは全然ないんだけど、僕は友達が書く文章を読むのは好きなので僕が好きな人にはブログを更新してもらいたい。

ブログってもはや死語なのか?
Twitterも当初はマイクロブログなんて言ってたのに気づいたら陰キャのSNSなんて言われちゃったり名前まで変わっちゃったりする始末。
ちょっとした昔話をすると、2010年くらいはITリテラシーが高い人が集まるコミュニティーだったんですよね。

友達にブログを書いて欲しいとは言ったけれども、余所行きの文章にはそんなに唆られないんです。
そうじゃなく、魂のむき出しみたいな、感情が叫びだしたような、そういう文章が読みたい。

ただ、僕らはある程度大人になって、分別を持ち、配慮もできるようになってしまった。
もちろん僕も、世や誰かに対して怒りを覚えることもあるけど、それを公の場で撒き散らすほど馬鹿ではない。
でも、怒りを簡単に消化しきれるほど賢くもない。

今度焼肉を食べることになってふと考えたんだけど、たぶん数年ぶり。
焼肉ってあんまり唆られないんですよね。
シンプルといえば聞こえは良いけど、肉を切って焼くだけの料理だから。
美味しくはあるけれども、美味しくされるためにもっと色んな工夫がされてる料理の方が僕は嬉しい。

とはいえ久しぶりの焼肉が楽しみじゃないわけではない。
ちょっと変わったお店にしたんですよね。
僕は食事の際、料理だけでなく好奇心や体験も合わせて味わってる気がする。

ドキッとするようなタイトルつけたい。

新居での初料理はカレーでした。
なんか、ベタなものの方がいいかな、って。

材料は合いびき肉、マッシュルーム、しめじ、パプリカ、ヤングコーン。
そういやほうれん草も入れようと思ってたのに忘れてたことに今気がついた。
パプリカは黄色を買ったんだけど赤色の方が彩り良かったな。

料理はいいね。
楽しいし、美味しいものまで食べられるおまけ付き。
昨日の続きだけれども、こうやって生活に温度を取り戻していく。

やることが多い。
良いことだなとも思いつつ、そればかりだと逆に毎日が単調になる。
緩急がなくなるって言ったほうが正確かも。
でも、一息ついたり、色んな方向に心を動かしたい。

ドキドキしたい。

急に言葉で刺されるんでもいいし、怖くなるくらい楽しくなっちゃうんでもいい。
自分の想像以上に想像以上でありたい。

人生がつまらなくなる理由の一つとして、全てが想像の範囲内に収まっちゃうってのはあるのかもね。
その解決のために貧困な想像力であり続けるという方法もあるかもだけど、それじゃつまんないよね。

生活が温度を取り戻している。

藤原麻里菜さんのnoteがすき。
彼女が考えたこと、感じたことをとりとめなく書き綴っている感じ。毎日。
僕もやりたい、と思った。毎日じゃないと思うけど。

引っ越しをしました。
とは言ってもそれが完了したのはもう10日前。
福岡を2/3(土)に出て、東京の新居に荷物を搬入したのが5(月)。
そう、東京に、戻ってきた。

新生活を満喫できているのかと言えば全くそんなことはなくて。
主な理由としては体調を完全にぶっ壊していたから。
引っ越し翌日の午後くらいから急速に悪化して、翌日フラフラになりながら病院に倒れ込んだら39.5度。
引っ越したばかりで体温計がどこにあるか分からなかったからそこで初めて自分の体温を認識したんだけれども、そりゃしんどいわけだ。ははは。

そこからの復活に数日を要し、とは言え仕事もしつつ荷ほどきに目処がついたのが今日。
ようやく、仕事用の椅子に座りながらキーボードを叩けている。
今日まではダンボールに囲まれながらソファーに座ってローテーブルにモニターを置いて作業してたんだけど、思えば購入以来、一番長くソファーに座っていた期間だったかもしれない。

ようやく生活に温度が戻り始めた。
もちろん、家でご飯も食べていたしお風呂も入っていたし睡眠も取っていたけれども、それは生活というよりもただタスクをこなしていただけだった。
温度も色もない、必要な作業でしかなかった。

でも今日はご飯を炊き、それを小分けにして容器に入れ、今は僕の右の方で冷凍庫にしまうために冷ましている。
部屋の奥からはそれなりに気に入っているスピーカーから好きな音楽が流れていて、背中方向からは食器洗濯機が頑張っている音がする。

それなりの後悔をしようと思えばできるけれども、僕は自分の人生がすき。
そしてそれをもっと良くしようと、また東京に戻ってきた。
温度のある毎日を過ごしたいですね。